杞柳産業から鞄産業へとの中心産業が変遷していくにつれて信仰に鞄も含まれるようになり、「鞄の(神様を祀る)神社」と言われるようになりました。
(社記によると五男三女神を祭神とする…とも書かれていますが、長い歴史の中で神仏習合の頃は八王子権現を祭神とされていたり、時代とともに地域の方々の信仰に合わせて柔軟に解釈されていて、皆さんの信心が通じているんだなぁと感じられました。)
さて本題【柳まつり】のコト。
昭和10年の社殿新築を機に始まりました。
創始当時は、神様を市内へ1泊の接待をするという意味もあったようです。
1日目:例祭神事の後、夕方から神輿を乗せた御座船を中心に20隻もの船が連なり、花火が上がる円山川をゆっくり進む「船渡御」が、豪華で荘厳に祭りの夜を彩っていた。
2日目:稚児姿の幼稚園児が総勢300人の大行列で神輿を引く「陸渡御」で、各地区を練ってから柳の宮へお帰しした。
という次第で神様をもてなして、1年の感謝を表していたそうです。
今では但馬地区最大の夏祭りとなり、現代的な趣向を凝らした内容で毎年盛り上がっています。
その一方で、呼び物のひとつである神輿担ぎは「鞄産業に携わる男性のみが担ぎ手となれる」という古風なしきたりがきちんと残されており、一昨年、私は移住1年生にもかかわらず、トヨオカ・カバン・アルチザンスクールに通っていた関係で担がせていただき、人生初の神輿担ぎがとても誇らしいのもになりました。
80余年、土地に根付き、市民に愛されているお祭りです。